사역, 수동, 사역수동에 대해1. 사역/수동사역 : 시키다(させる) ⇒ 예) 本を読ませる 책을 읽게 시키다수동 : 당하다 (られる) ⇒ 예) 本を読まれる 누군가가 책을 읽어서 어떠한 피해를 입었다(「られる」에는 존경, 가능, 수동의 의미가 있으나, 간접수동의 의미만으로 생각했을 경우)本を+読む(ことを)+させる ⇒ 책을+읽다(~게) +시키다, 만들다책을+읽다(~게) +시키다 ⇒ 책을 읽게 시키다기본 문형: (~が)~に(~を) eq oac(○,V)させる해석 : ~ 에게 eq oac(○,V)하게 시키다, eq oac(○,V)하게 하다, eq oac(○,V)하게 만들다예) お母さんが私に+「手紙を書かせる」「掃除をさせる」「学校へ行かせる」「服を着させる」本を+読む(ことを)+される ⇒ 책을+읽다(~는 것을) +당하다책을+읽다(~는 것을) +당하다 ⇒ 책을 읽는 것을 당하다기본 문형:(~が)~に(~を) eq oac(○,V)られる。해석: ~에게 eq oac(○,V)당하다. ~가 eq oac(○,V)하다예) 私が友達に+「パンを食べられる」「手紙を破られる」「話を聞かれる」「彼氏をとられる」*직접수동 : 목적어를 주어로 하는 것 ⇒ 목적어와 동사(행위)를 강조この会社を1970年に設立した ⇒ この会社は1970年に設立された*간접수동:다른 사람에게 피해를 입었거나 곤란한 일을 당했을 경우 사용(자동사의 간접수동)子供が泣いた ⇒ 子供に泣かれた(타동사의 간접수동)財布を盗む ⇒ 財布を盗まれた2. 사역수동의 기본형태사역 + 수동 = 사역수동させる + られる = させられる①1그룹(5단동사)「ア」せる(사역)+られる (수동) ⇒「ア」せられる(사역수동)飲む ⇒ 飲「ま」せる+られる ⇒ 飲「ま」せ/られる ⇒ 飲ませられる待つ ⇒ 待「た」せる+られる ⇒ 待「た」せ/られる ⇒ 待たせられる知る ⇒ 知「ら」せる+られる ⇒ 知「ら」せ/られる ⇒ 知らせられる②2그룹(1단동사)させる(사역)+られる (수동) ⇒させられる(사역수동)食べる ⇒ 食べさせる+られる ⇒ 食べさせ/られる ⇒ 食べさせられる捨てる ⇒ 捨てさせる+られる ⇒ 捨てさせ/られる ⇒ 捨てさせられる起きる ⇒ 起きさせる+られる ⇒ 起きさせ/られる ⇒ 起きさせられる③3그룹(변칙동사)する ⇒ させる+られる ⇒ させ/られる ⇒ させられる来る ⇒ 来させる+られる ⇒ 来させ/られる ⇒ 来させられる3. 사역수동의 단축형태「す」=「せる」「させる」의 고어(옛날말)①1그룹(5단동사)「ア」せる(사역)+られる (수동) ⇒「ア」せられる(사역수동)「ア」す +られる (수동) ⇒「ア」される(사역수동)⎿________⏌⇣す+ら=さ飲む ⇒ 飲ます+られる ⇒ 飲まされる待つ ⇒ 待たす+られる ⇒ 待たされる知る ⇒ 知らす+られる ⇒ 知らされる단축형태의 주의점①단축형태는 1그룹동사에만 있다(2그룹, 3그룹 동사에는 단축형태가 없다)②1그룹동사라도 「話す」「 押す」처럼 「す」로 끝나는 동사는 단축형태가 쓰이지 않는다.話させられる ⇒ 話さされる(×)押させられる ⇒ 押さされる(×)이유는 위에서 보는 것처럼 「さ」가 2개 겹치기 때문이다.연습) 考える ⇒ 考えさせる+られる ⇒ 考えさせられる(단축형 없음)話す ⇒ 話させる+られる ⇒ 話せられる (단축형 없음)聞く ⇒ 聞かせる+られる ⇒ 聞かせられる(聞かされる)急ぐ ⇒ 急がせる+られる ⇒ 急がせられる(急がされる)4. 사역수동의 의미와 사용방법사역수동은 「어떤 행위의 이유 혹은 결과가 주어의 의지와 상관없을 때 」사용긍정적 의미, 부정적 의미 둘 다 사용 가능가장 간단한 해석= (의지와 상관없이) eq oac(○,V)시켜서 eq oac(○,V)하다, eq oac(○,V)하게 만들어서 eq oac(○,V)하다,예) 先生に宿題をやらせられた ⇒ 선생님이 숙제를 하게 시켜서 (억지로)했다.사역수동 : 시키는 것을 당하다(させられる) ⇒ 예) 本を読ませられる⇓의미를 분해하면,本を+読む(ことを)+させる+される ⇒ 책을+읽다(~게)+시키다+당하다⇓의미를 발전시키면,책을+읽다(~게) +시키다+당하다 ⇒ 책을 읽게 시키는 것을 당하다기본 문형:(~が)~に(~を) eq oac(○,V)させられる예)友達が店員に商品を買わせられた。(私が)母にご飯を食べさせられた。学生が先生に本を読ませられた。⇓각각의 뉘앙스를 생각해보면,本を読ませられる ⇒ 누군가가 책을 읽게 시켜서 (내 의지와 상관없이 )억지로 책을 읽었다⇓긍정적 의미의 문장의 예를 들어 보면,あの人に感動させられた ⇒ 그 사람이 (나를)감동하게 시키는 것을 당했다 ⇒ 그 사람이 나를 감동하게 만들었다 ⇒ 그 사람에게 감동했다「あの人に感動させられた」와 「あの人に感動した」あの人に感動させられた ⇒ 내 의지와 관계없이 저절로 감동해 버렸다 ⇒ 그 사람이 내가 감동할 만한 무언가를 가지고 있어서 필연적으로 감동 ⇒ 발생한 일을 강조あの人に感動した ⇒ 감동했다 ⇒ 발생한 일을 서술, 자신의 주관あの人に失望させられた ⇒ 실망하고 싶지 않았지만 내 의지와 달리 나를 실망하게 했다 ⇒ 누가 봐도 실망한 만한 일이기에 필연적으로 실망 ⇒ 그 사람의 책임을 강조あの人に失望した ⇒ 실망했다 ⇒ 서술, 자신의 주관
専門日本語表現技Ⅰ『比較食文化考-食文化論に見られるナショナリズム』2006年11月、農林水産省は、「日本食レストランと称しつつも、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているものが数多くある」とし、「海外日本食レストランへの信頼度を高め、日本の食文化の普及を後押しすること」を目的とする「日本食レストラン推奨計画」を発表した。これは、日本政府が、カリフォルニア・ロールに代表される、いわゆる「フュージョン日本食」の拡散や、同省の言葉を借りると、「日本食と称する」レストランの増加を警戒し、それを抑制するための対策に乗り出し始めたことを示している。更に、同省による「海外における日本食レストランの現状について(2006年11月)」という報告書においては、米国の「日本食と称する」レストランで提供される料理の多くが米国人の嗜好に合わせ、変化したものであることや、フランスの「非日系人」が経営する中華レストランなどによる誤った調理方法などが、フランス人に「日本食」として認識されつつあることなどが指摘されており、ここでも、本物と見做すことの出来ない日本食の増加に対する懸念が見られる。「フュージョン日本食」に対する日本政府の認識や対策は、フィナンシャル・タイムズが、「(前略)The point is that certifying authetic food – though a noble concept – is outmoded in a globalised world」と報じたほか、ワシントン・ポスト紙によって「国粋主義の復活」という表現を用いて取り上げられ、日本国内においても、いわゆる「寿司警察」や「食文化ナショナリズム」をめぐる論争を引き起こした。そもそも「本物」というのは、「本物ではない」とされる対象との比較を通じて見出された違いを以って両者を区切ることで、明確化され、価値を与えられるものであるが、その過程において、対立項を設定するためには、「本物」にあるべきものを明確に定め、その要素に欠けているものを、ある枠組みの中から選び出し、「本物と異なっている」ことを確認した上で、最終的にはその枠組みから排除する行為を必ず必要とする。このような二分法的思考は、「日本食=本物」⇔「フュージョン日本食=本物ではないもの」という認識を成立させ、前者には肯定的な価値を、後者には否定的な価値を付与する働きをする。ここで注目したいのは、食べ物そのものをはじめ、それに関わる食行動や食文化と、母性、アイデンティティ、国家との関係性が構築されることによって、明確な形を持つものとして成立する「自己(私たち)=内側」と「他者(彼ら)=外側」の対立構造である。人間は不完全のまま、生まれるがゆえに、完全に保護を受ける環境においてのみ生存する。周囲の人間、とりわけ、母親に対する依存度は、自らの力で生存に必要な食べ物を十分に確保することが出来ない乳児期・児童期において最も高い。従って、生存のための必修条件から、食べ物と母親を切り離すことは出来ないと言えよう。ここで、食べ物が、自己や家族、そして(家族の概念が拡大された共同体として見做した場合の)国家のアイデンティティと関連性を持つことが分かる。日本には「おふくろの味」という言葉があるが、これを指して、熊倉(1992、37頁)は「一種の神話のようなもの」という表現を使用している。彼は、「おふくろの味」を通じて「自己のアイデンティティや家庭の絆」が確認されることによって「家庭」とか「国家」といった近代的なイデオロギー(共同体のアイデンティティ)が「食の文化における意味体系のなかに位置しているのである」と述べている。一方、Lupton(1999、62頁)も、「食べ物に関わる信念と振る舞いは乳児期から発達し始め、家族単位と密接に結びついている。(中略)食べ物と常に結び付けられる主要な情動の一つが愛で、特に母の愛である」と説明している。また、Lupton(1999、39頁)が引用している「(前略)食べ物を体内に取り入れるということは、一人ひとりがその食べ物の特性を取り入れることによって主観性の概念を構成することである同時に、人をある調理システムへ、従ってある社会集団へと取り込むことである」というFischler, C.(Food, self and identity. Social Science Information, 1988)の指摘からは、人々が、食べる行為を共有することで、同じコミュニティーを構成するということが推測できる。更に、食べ物は、「文化間の差異を生み出す道具」であり、「集団のアイデンティティの強化に役立つ道具」でもある。Lupton(1999、23-24頁)によれば、「(前略)食べ物はその値段や希少性、そして何より文化的な意義といった要因から、境界を示すものであり、(中略)食べ物を調理したりする行動は、『私達』と『彼ら』の境界線を定義する特別な力を持つ」。一例に、フランス人はワインとチーズを、イギリス人はフィッシュアンドチップスを、また、オーストラリア人はベジマイトという料理(Lupton、39頁)を、それぞれ、最も自国らしい料理、即ち、それぞれの国の一員としてのアイデンティティを象徴的に示しており、それを食することで、一員であることを再確認することができる料理として挙げている。日本における「最も日本らしい料理」としては、お米やお茶の文化、新鮮なもの(生もの)への追求、醤油や酢の使用といった日本食の特徴を殆ど揃えている寿司を挙げることが出来るであろう。これを敷衍すると、寿司の調理法や食べ方などに見られる「日本らしさ」や、それによって強調される日本人と他者との相違点を共有し、また、寿司を食べることによって、日本という国を構成する一員としてのアイデンティティを確認することが可能であるという側面に注目し、これを集団のアイデンティティの強化のための手段として利用しようとする意図が表れたのが、上記の「寿司警察」に代表される様々な取り組みであると、考えられないでもない。前述したように、人間は食することで、自己を確認し、そのような行為を共有することによって「共同体」を構成する。それゆえ、「食べ物・食行為」は、「自己・共同体のアイデンティティ」と結び付けられやすい。従って、比較という形式を借りて「私たちの食べ物」と「彼らの食べ物」を語る行為は、「私たち」と「彼ら」の違いを強調する働きをすると同時に、「私たち」に肯定的価値を、「彼ら」には否定的価値を与えることで、優劣関係的「対立構造」を作り出し、「私たち」のアイデンティティを強化するため、ナショナリズムのイデオロギーの形成に繋がりやすいと考えられる。参考文献Deborah Lupton、無藤 隆・佐藤恵理子訳、1999、「食べることの社会学」新曜社熊倉功夫、1992、「食文化史における思想」熊倉功夫・石毛直道編、『食の思想』所収、ドメス出版河野友美、1980、「味覚と文化」多田道太郎・中尾佐助編、「食の文化」所収、講談社PAGE 2PAGE 1
社会言語系基礎講義 社会言語学入門ナショナリズムの訳語には「国民主義」、「国家主義」、「民族主義」の他に「排外主義」、「愛国主義」までがあるが、国家を一定の HYPERLINK "http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%9B%BD%E5%AE%B6&dtype=0&stype=0&dname=0na&ref=1&index=20295319386000" 領土とそこに居住する人々から成り立つ概念と見なすと、人が自分の所属している集団、つまり国家に対し興味・関心・親しみを持ち、ある種の愛着を抱くようになるのは極めて自然なことのように思われる。国民或は民族-国民と民族が必ずしも一致するわけではないため、これらの概念は必ず厳密に区別されなきゃならないものの、現代において民族という概念は国家の形成と密接な関係を持つようになり、国家の成立と共に民族=国民というような様相を呈して来たのは確かである-は、自分が所属している集団はそうではない集団のそれとは明確に区別できる特殊性・独自性を保有するという認識から成立し、自分がある民族に属しているという連帯感ないし同類意識である民族意識を生み出す。そして、いわゆる愛国思想の体系化はこのような民族意識に思想的根拠を与え、それが民族主義、即ちナショナリズムに繋がる。しかしながら、『想像の共同体』の著者であるベネディクト・アンダーソンは「国民」の概念を「イメージとして心に描かれた想像の共同体」と定義しながら、更に国民が持つすべての愛着の対象も国民と同様に「想像されたもの」であり、いわゆる同胞愛というのは言語を通して想像されると指摘している。そもそも人が自らの自由な意志で自分が属することになる家族や民族、国家などを選ぶことは不可能であるため、国家という民族共同体の一員、つまり国民という概念は国家によって強制的に与えられた識別のためのアイデンティティに過ぎない。従って国家と国民との関係をその根拠としている愛国心・愛国主義もまた、言語を初めとした教育政策、国歌・国旗など国家を象徴する物などを用い創り出され、強要された概念である。つまり、国民国家を構成する一員である以上、自分の国を愛するのは当然なことであるという主張には、自分が属している国を愛しない(若しくは愛することが出来ない)という個人の意志よる王位独占、それから国防計画に住民結集させるいわゆる夷人襲来により、藩閥政府の権威を更に高める効果をもたらしたと述べている。これに加え、富国強兵政策の成功、日清・日露戦争、台湾・朝鮮併合における学校、出版による喧伝などが、藩閥政府の正当性創出に寄与したと指摘しており、実に興味深い。当然のことながら、韓国におけるナショナリズムは日本のそれとはその性質・特徴などが異なる。ここで、アンダーソンの『Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism』の日本語訳のタイトルが『想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行』であるのに対し、韓国語訳のタイトルは『想像の共同体-民族主義の起源と伝播に対する省察』となっているのに注目して欲しい。上に述べたようにナショナリズムの訳語には「国民主義」、「国家主義」、「民族主義」の他に「排外主義」、「愛国主義」までがあるが、このようにナショナリズムは文脈により多様に使い分けられており、その一義的な定義は困難である。従って「Nationalism」も通常は無理に訳せず「ナショナリズム」として表記するのが一般的であるが、文脈から意味が限定される場合、「Nationalism」を国家主義、国民主義、民族主義と訳し分ける場合もある。つまり、日本語訳における「Nationalism」は多様な解釈が出来る包括的概念である。一方、韓国語訳における「Nationalism」は「民族主義」の意味を持つ概念として限定されている。なお、表紙においても日本語訳版の場合は原書の表紙として用いられているイメージをそのまま採用しているが、韓国語訳版の表紙を飾っているのは2002年韓日サッカーワールドカップが開催された際、同じデザインの赤い服を着ている人々によってソウル駅広場が赤一色で染められている瞬間を収めた写真であることから、タイトルと同様に「民族主義」の意味としての「Nationalism」を非常に強調しているように感じられるが、オリンピックやワールドカップのような際競技大会の期間になれば、何の疑いもなく自国の選手を応援するという形となって愛国心・民族意識が表れやすいからである。ところで「Nationalism」を「民族主義」と定義してしまう場合、民族の存在・独立や利益また族主義」の意味としての「Nationalism」を強調するのも無理はないように思われる。一方、米下院外交委員会は日本人が意識しているナショナリズムについて次のように書いている。「For most Japanese、 nationalism means “love for the country” and “ HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/pride" pride in HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/being" being Japanese.” Furthermore、for most Japanese、b HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/being" eing proud of HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/Japan" Japan or of HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/being" being Japanese equals their desire to see HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/Japan" Japan share a due level of responsibility in the international community. In short、the nationalism that most Japanese identify with is closer to the patriotism we see in this country.」要するに、「殆どの日本人にとってナショナリズムとは、国への愛情であり、日本人であることの誇りであるが、これらは愛国心( HYPERLINK "http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%d1%a5%c8%a5%ea%a5%aa%a5%c6%a5%a3%a5%ba%a5%e0" パトリオティズム)に近いと言える」と述べているのであるが、興味深いことに20世紀初期の韓国にも日本のナショナリズムに対しこのような評価を下す人達がいた。例えば、2005年に<民族問題研究所>に革を主張し、当時の課題を「立国と強国」と定め、民族精神と民族思想を植え込むことや、西洋の政治制度を取り入れることで実現させることが出来ると強調していた。彼らは「「日本が強大な清国とロシアを撃退することが出来たのは、立憲政治を行うことで人民の権利を尊重し、個人の自由を保護することにより愛国心が生み出されて来たからである」と考えていたのである。一方、日本帝国に韓民族の国権を奪われた後、国権回復のために展開された、いわゆる文化啓蒙運動の理念には英雄主義、愛国主義、国家主義などがあるが、英雄主義は国家を最優先とする愛国至上主義、更には国家主義に発展した。これによって民衆の主体性が否定され、民衆の存在は「国権回復」という目的のためのものとなり、個人の人権は国権のためにだけ存在するものと見なされた。このような愛国主義や国家主義は儒教の忠孝論をその思想的根拠としていたため、国家のために生き、死ぬことは有意義という国家有機体説がより広く受け入れられるようになった。しかしながら、当時の民族主義は帝国主義との競争で生き残り、最終的には帝国主義国家に成長することを最大の目標としていた。つまり、日本帝国主義の侵略イデオロギーである東洋主義を批判しつつ、その代案として「国家主義」を主張していたのであるが、このような国家主義・民族主義は解放後、朝鮮戦争を経て南北分断が固着化される過程において反共主義に置き換えられる。つまり、分断以後の韓国民族主義は統一を指向する統合性と、北朝鮮を排斥し敵対視する排他性を両方持つようになったのである。これについて1982年釜山アメリカ文化院放火事件の「首謀者」として逮捕、投獄された文富軾は次のように述べている。「南北を問わず朝鮮半島において国家というのは神話である。帝国主義の支配により「国家」を奪われた経験は国民国家に先験的な正当性を付与する働きをした。(中略)南と北は軍事力と経済力において優位を占めることで相手を制圧することを最大の目標とする」 更に彼は「国家は抽象的であり、権力は具体的である。権力は抽象的主体の国家を通じて、自分を正当化させる。 これが国家主義である。国家主義とは国家の正当性を動かせない真理として受け入れることを強要する理念である。1980年5月全斗煥の暴力を黙認したということは、私達が彼の権力を国家として受け入れたという事実を意味する」と、ムの表れであったことは確かであり、1990年代の経済民族主義、文化民族主義を経て、今現在も統一民族主義という姿として存在していることを考えると、国家社会主義の狂気に対抗したドイツの反ナチ抵抗運動と韓国の民主化運動の違いについて「ドイツ人が自由と理性を、抽象的主体である国家理性、即ちヒトラーに献納した自分たちを徹底的に反省しているのに対し、韓国における国家主義は全く克服されていない」という文富軾の言葉は実に意味深である。参考文献ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行』白石さや・ HYPERLINK "http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-0338539-0301037?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E7%99%BD%E7%9F%B3%20%E9%9A%86" 白石 隆訳、NTT出版、1997橋川文二『昭和ナショナリズムの諸相』名古屋大学出版会、1994菅 孝行・松本健一『対論 ナショナリズムのゆくえ』株式会社 第三文明社、1985金度亨『大韓帝國期の政治思想研究』(株)知識産業社、1994文富軾『失われた記憶を求めて 狂気の時代を考える』板垣竜太訳、現代企画室、2005チョン・ゼホ『世界化時代における韓国と日本の民族主義の持続性と変化』韓国政治外交史学会、1960チョン・ヨンウク『提携と排除の二重奏:韓国現代史における民族主義、共産主義、そして左右対立』ナナム出版、2003『ブリタニカ世界大百科事典』韓国ブリタニカ会社、1994ウェブサイト HYPERLINK "http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD" o "アメリカ合衆国" アメリカ合衆国 下院外交委員会(Web site for the House Committee on Foreign Affairs) HYPERLINK "http://www.internationalrelations.house.gov/109/tat091406.pdf" t "_blan3