일본그리스도교문학과 아쿠타가와 류노스케

저작시기 2002.01 |등록일 2004.10.29 파일확장자어도비 PDF (pdf) | 20페이지 | 가격 5,500원
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서지정보

발행기관 : 한국일어일문학회 수록지정보 : 일어일문학연구 / 43권 / 2호 / 207 ~ 226 페이지
저자명 : 하태후 ( Ha Tae Hu )

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영어 초록

芥用龍之介の藝術を論ずる時、その審美的、知的、技巧的側面が强調される場合が多い。しかし、彼の藝術の一方には倫理的、宗敎的側面もあることを見逃してはならない。特に彼とキリスト敎との關わりを論ずる場合は切支丹趣味、エキゾティシズム、好事癖が强調されすぎてきた傾向がある。しかし、芥川のキリスト敎認識の土臺は、何よりも<聖書>そのものにあり、また<人間存在>そのものにあったことを再認識する必要がある。彼が何よりも尊んだものはドグマでもなく、また制度としての敎會や信徒の信仰行爲でもなかった。キリストという存在に「世界苦」そのものを擔った受難の相、また人間存在そのものの實存的形相の根源ともいうべきものを彼は見していた。 「クリストは今日のわたしには行路の人」ではなく現代人が見放し、「倒すことをためらはない十字架に目を注ぎ出した」というその深い告白、これは『西方の人』冒頭の言葉だが、彼はされに『續西方の人』の冒頭でも、「わたしは四福音書の中にまぎまざとわたした呼びかけてゐるクリストの姿を感じ」「わたしのクリストを描き加へるの」と「やめることは出來ない」と言う。また『西方の人』の終わりな、「クリスト敎は惑は威びるであらう。少くと絶えず變化してゐる。けれどもクリスの一生はいつも我??を動かすであらう」と言った彼は、『續西方の人』の最後でもまた、「彼の一生はいつも我??を動かすであらう」と記す。芥川とキリスト敎という問題が、制度としてキリスト敎ではなく、我がクリストの對面そのものにあったことは、もはや再言するまでもない。この故にこそ『續西方の人』は「我??はエマヲの旅びとたちのやうに我??の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであらう。」という一句をもって閉じられることになる。これはもはや芥川一人のみの問題ではなく、眞の新たな文學の誕生を後代に託すという芥川のメッセ-ジとも取ることができる。 芥川の死をもって大正文學は終わり、またその死をもって昭和文學は始まると言われるが、まさにこの芥川の最後の一句は、兩時代の文學を架橋しようとしたものと言える。しかも新たな時代の文學という時、彼は「我??の心を燃え上らせるクリスト」なくして、それは可能かという問いをも投げかけているはずである。勿論これは宗敎的文學への待望ではない。我??の實存を最も深いところで捉え返す、その對者の眼としてそれが言われていることは明らかである。 また彼は「いつもクリストの中に我??を虐んでやまないものを-近代のやつと表現した世界苦を感じずにはゐられないであらう。」とも語る。「近代のやつと表現した世界苦」という時、果たしてこの日本の文學は何を表してきたのか。それは「世界苦」ならぬ,世間苦、裟婆苦に過ぎなかったのではないかという問いも含まれている。芥川のキリスト觀のその中に、この<世界苦>という近代普遍の課題を擔うキリスト像があると知る時、彼が生み出そうとして果たし得なかったものは何であったかも見えてくる。

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