曉堂 崔凡述(1904~1979)의 獨立運動
(주)학지사
- 최초 등록일
- 2015.03.25
- 최종 저작일
- 2004.01
- 28페이지/ 어도비 PDF
- 가격 5,700원
* 본 문서는 배포용으로 복사 및 편집이 불가합니다.
서지정보
ㆍ발행기관 : 동국사학회
ㆍ수록지정보 : 동국사학 / 40권
ㆍ저자명 : 金相鉉
목차
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 1938년 이후 효당의 독립운동
Ⅲ. 민족문제연구소가 제기한 의문에 대한 해명
Ⅳ. 맺음말
[論文要旨]
영어 초록
この論文は?堂崖凡述(1904~1979)の濁立運動を考察しつつ,彼が北地皇軍慰 問使となって中園を巡って?た蛭緯とその以後の抗日活動を主に察してみたも のである。彼は1919年3?1濁立運動が起るや海印寺地方?林に在墜しながら海 印寺を中心として菖?示威を主動した。嘗時彼のとしは?15?にもいたらなかっ た。日本で留?していた1922年より10?年のあいだにも抗日??を繕摘した。 1923年朴烈等と不逗鮮人祉を組織して?誌を刊行し朴烈が日本天皇の暗殺を計 劃した大逆事件連累者のひとりとして指目??束され?谷,目?,大崎,品川,神田, ?塚等9箇警察署で各29日づっ9個月間もまわされながら調査を受けたりした。 ?堂は1933年簡園した後多率寺を中心として?密に濁立運動を展開した。偶? 界の秘密結『生である目?に加入し活動したので獄苦を受けたり,いくども猫立運 動資金を集め韓龍雲に惇へたり丹?遺稿の刊行をくわだてた故に投獄されたり した。1986年政府では?堂の功動を追慕し大統領表彰を授った。勿論?堂は 1937年中日??が勃殺するや??界代表等のひとりとして指目され日本軍を慰 問したことがあるので彼の抗日??に封し疑問を提起する一面もあったが,そ れは抗日行蹟をかくす?の手段とも思われる。彼の日本軍慰問は糟督府の指目による不可抗力な行動であったばかりでなく慰問にいった以後も?堂の抗日?? は??されていたからである。
참고 자료
없음