다도의 역사
- 최초 등록일
- 2010.10.15
- 최종 저작일
- 2010.06
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소개글
일본에 있을 때 일본문화개론이라는 과목에서 다도에 대해 발표했던 내용입니다.
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본문내용
日本に初めてお茶が持ち込まれたのは遣唐使の時代だったといわれる。このときのお茶は今で言う烏龍茶のようなもので、この色が私たちの言う『茶色』になったそうだ。現代のような嗜好品ではなく薬として入ってきたが、日本で一般的になることはなかった。
その後、鎌倉時代に中国から禅宗が入ってくると、中国の進んだ文化と共にお茶が持ち込まれた。元は禅宗の僧侶が修行中に眠気覚ましに飲んだとも言われるが、そのときに使う道具の洗練された美しさに当時の権力者が夢中になり、当時『闘茶(とうちゃ)』という一種のゲームが大流行したという。(この外国製の道具類を『唐物(からもの)』、当時のお茶の様式を『書院茶』という。)ただし庶民は高価なお茶を口にすることはできず、『こがし』というお米をぱりぱりに焦がしたものにお湯を入れて飲んでいたそうだ。
戦国時代の終わり、織田信長が登場するといよいよ千利休の時代になった。
利休の祖父は足利将軍の同朋衆だったといわれている。同朋衆とは単なる家来ではなく、一種の家庭教師であり相談役、今でいう『有識者会議』のようなもの。
当時の第一人者武野紹鴎に学んだ利休は信長の茶頭役になる。信長は戦争の恩賞に国や土地ではなく、茶道具を家来に与えた。全国の大名はこぞって茶道(当時は茶の湯)に取り組み、その中心人物であったのが千利休だった。
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