베트남전쟁과 한국
- 최초 등록일
- 2009.04.23
- 최종 저작일
- 2009.04
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소개글
일본어로 적은 레포트입니다.
일본대학 정치학 수업에서 에이뿔받았습니다.
목차
序論
本論
ベトナム戦争の背景と性格
韓国のベトナム戦争に参戦背景(朴正煕大統領へのベトナム戦争の意味)
韓国のベトナム戦争に参戦の結果
結論及び私の考え
본문내용
序論
アメリカとソ連の冷戦が終わった以後にも世界の多くの地域では多様な戦争と紛争が続いている。しかし、このような戦争と紛争は該当の国家だけの問題ではない、全世界国々の問題につながっている。したがって最近起きたアプガニスタン戦争、イラク戦争などで韓国を含めた多くの国が軍隊を派遣したし、その結果に対しては派兵した国家内外でまだ多い論難がある。今後とも多くの戦争と紛争で国際的な共同解決という名目の下、韓国に対する派兵要請が続く予想される。したがって韓国の最初の国際的な紛争介入で、また過去に韓国の経済発展に大きい役目を担当した韓国のベトナムに派兵の背景に対して調査して見て、ベトナム派兵の肯定的、否定的な結果を通してこれからの国際的な紛争において韓国の参加に対して考えて見ようと思う。
本論
ベトナム戦争の背景と性格
公式的にベトナム戦争が始まったことは1965年だが、実はインドチャイナに対するアメリカの介入はそれよりずっと以前であった。ベトナムが1954年デ−エンビエンプ戦闘で殖民の母国であるフランスを自ら退けるにもかかわらずジュネーブ協定のテーブルに座るようになって、ついに分断という痛みを経験しなければならなかった。協定以後、南ベトナムにはゴディンデ−エム政権が執権するようになるのにゴディンデ−エムの政権は南北総選挙実施を通じる統一政府というジュネーブ協定の規定の移行を拒否した。
これはホチミンが率いたベトミンの勝利が確かだったからなのにそのようになったらベトナムの共産化が確実視になったからだ。それでアメリカは共産主義に対する自由世界の対応という旗の下にドミノ理論を立ててインドチャイナに対するアメリカの介入を現実化させて行った。ついに総選挙は霧散されてゴディンデ−エム政権の独裁と腐敗で民衆たちの不満が高めた中で、何回の軍事グテタが発生しながらアメリカは直接介入を選択するようになった。トンキン湾事件を始まりに1965年3月2日に北側へ爆撃を断行、アメリカは本格的なベトナム戦争を起こすようになった。
참고 자료
チェドンジュ「韓国のベトナム戦争参戦同期に関する再考察」 韓国政治学会報、1996.8. pp.267-287.
イギジョン「韓国軍ベトナム参戦の決定要因と対外関係の変化」国際政治論叢、1991.1. pp.61.
社会福祉法人ベトナム戦参戦戦友会